なんとなくの危機感

つぶやき
なんとなく感じることを書きます。
なんとなくなので、個人的主観です。
でもそういうことも書きます。

選挙について

大阪市長選挙が今週にあります。
橋下市長を全面的に支持はしません。
不満もありますし、言論にも違和感を感じることもあります。橋下市長に投票する=信者というレッテルは大嫌いです。
でも、橋下さんに投票します。理由は、ここまで積み上げた都構想の作業を、中途半端に潰すのは反対だからです。
そもそも最終的に、住民投票で決めるのだからしっかりしたプランを任期中に作りあげるべきです。その上で判断すれば良いのです。
最初から都構想を潰すしか頭にない野党は、これまでの選挙の結果に対しての責任意識がなさすぎます。都構想をまず型にしてもらうということを中途半端にするのは、大阪行政にとって良くない。
理想は都構想と、その対案がしっかりあって比較出来ることなんですけどね。大阪市を残すメリットが言えたら、それはそれで良いと思います。立候補もしないで、意見も出さないで足を引っ張るだけとかあり得ないです。

自分で考える、創造する大切さ

自分で考える、創造することの重要性が増しているように思います。その上で議論することも。
インターネットにより多様性が増すかと思えば、まったく逆な気がします。むしろイデオロギーの勢力争いみたいな気します。もしくは思想のコピー&ペーストのようなことが横行してるし。
あとは、どれが正解で他は駄目かみたいな。政治に関して言えば、スタンスの違いはまったく認めずに相手を駆逐するかのような。とにかく議論に品がないと思います。
 
なんなんでしょう?
このままどんどんエスカレートするのかと、心配になります。議論というより、中傷合戦のような雰囲気です。
正しい知識が欲しいので、いろんな意見を見ようと思います。だけど人のことを中傷して、したり顔の人を見ると変な感じがします。
 
ということを考えると、自分の考えを熟成させるには自分の中で考える為の素養を育てないと駄目だということです。自分の考えを持つって、本当はすごく難しいというか面倒くさいです。いろんな視点の意見を聞いて、妥協せずに事実を見極めないといけない。
多数派に流されることなく、少数派に惑わされずに判断しないといけませんし。権威や知名度で、認識がぼやけてしまわないように感性を持たなくてはいけません。
 
情報の真偽を見極めるのは、本当に難しいので情報操作されてしまうのも仕方ない部分もあるのかなと思います。日常でそんなことに熱心にやってる余裕がどれだけあるのかということですし。
 
でも間違いなく、この先の世界を生き残るには自分で考え創造する力、真偽を見極める力が大事になるはず。護送船団方式の社会は崩壊してますし、状況は楽観視出来るような感じはしません。
 
第二次世界大戦後の世界の枠組みは、緩やかに確実に変化しています。そのときに自分として、どう生き残るかを考えていないと。知らぬ間にお荷物扱いになりそうな気がして。なんとなく怖いなという感覚です。
 
だから、今のうち出来ることを蓄えるほうが良いです。気がついてからでは遅い。

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