架空の空間を設計するにあたって

先日書いた「限られた空間でシュミレーション」という記事について、詳しく書く事にします。今後この作業を中心に、自分の創作を進めたいと考えています。その理由を整理します。

天井が見え隠れする限界

自分が大学を卒業したのが2003年で、助手を1年してから2004年に大学を出ました。
それから2014現在で、10年ぐらい建築デザインに関わっていることになります。
 
設計してきた内容としては、マンション、パン屋、フランチャイズ飲食店、美容院、住宅などの設計をしました。
大手企業から、個人レベルまでのクライアントと関わりながら、それなりの経験をしたと思います。
十分な経験じゃないかもしれませんが、いろんな環境を見たと思います。
 
さまざまな環境で経験したことから、個人的に感じてきたことがあります。
仕事として「他人の価値観の枠内」で創造をすることには、限界があり、技術が停滞し、天井より高い景色が見えないということです。さらにそれは創造性を発展させるには、障害になることもあるということです。
この考えについては、環境や個人差はあるでしょうが、自分としてはその天井をハッキリ感じています。
 

枠という概念について

枠の概念図
話の焦点を、建築の意匠設計のデザイナーに絞って話をしたいと思います。
世間一般的なデザイナーは、何かしらの会社や組織に属して仕事をします。
私も今まで、会社の中で設計をするという生活をしてきました。
組織の上層部には、決済権がある管理職や代表もいます。
その人々もクライアントという存在によって、成果品の内容に制限がかかります。
どの立場でも、クライアントという決済権を持つ存在の依頼によって成立する構図は変わりません。
フリーのデザイナーでも、同様の状況の中でデザインをします。
 
まれにクライアントが、デザインをデザイナーに委ねるという環境もあります。著名なデザイナーや、大手の企業になれば、デザイナーが提案をして決めていく流れも一般的でしょう。そうなればデザインは自由に出来るかというと、最終的にはクライアントが是非を承認するので、結局はクライアントの裁量に制限されます
 
クライアントも自由かというと、商品の特性、サービス、売上、機能性、ブランド、ビジネスモデルなどに左右されます。それがデザインをする上での、最も重要な枠になります。それすらも考慮しないというのは、さすがに特殊すぎる状況でしょう。
 
会社の中にいるような一般的なデザイナーに話を戻して、枠の限界をを考えてみましょう。
会議

会社組織の中でのデザイナーとしての枠の考え方

組織の中での違いは何かと言えば、立場によって提案、制作するデザインの内容にかかる規制枠の強さと種類です。代表なのか、上司なのか、末端の平社員という立場の差で、決済権の優劣が決まります。平社員がなんと言おうと、決済権は上司にあります。上司がNOと言えば、それは実現しませんし、上司のセンス、知識量、経験、趣味趣向が反映されます。上司が派手好きか、シンプルなものが好きかという違いで成果品のないようも変わります。
仮に上司を説得して自分の意見を通しても、それも上司が許可するという行為には変わりがないです。上司が理解出来ないなら、許可されることはないでしょう。結局のところ。その枠内で、要領よく回答を素早く導き出すことが求められていることです。
 
また、会社の規模や、取引先の会社によって環境や業務内容にも枠が出来ます。取引先の会社業務とは関係ないものは、経験しようがありません。その時点でジャンルに枠が出来ますし、規模によっても経験の範囲が決まってしまいます。
それがどんどん環境や、承認を獲得することへの順応性が勝負になって、要領よく要望に応えるパフォーマンスをするかということに優先順位が置かれる状況になります。総合的な仕事の評価も、そこが注目されるはずです。そこではデザインが独創的か、デザインとしての品質とか何かということは問題ではないのです。
 
要望に対しての組織人としての対応力や、顧客満足度が優先されるならば、デザインというよりはビジネス色が強くなってきます。創作するということへの意識は、サービスとしての結果を優先することに変わっていくことが自然です。
仕事の流れとしては当然のことで、組織でやる以上は現実の枠組の中で勝負しなければなりません
顧客に充実したサービスを提供するという、当然の使命があるので批判される類のものではないのです。
枠による弊害があっても、それは組織として当然出てくる問題です。
それに、自分が選んだ組織に所属するからには向き合うしかない問題です。
 
会社の中に優れたデザイナーがいる、技術がある、設備があれば、十分に質が高いものは出来るでしょう。批判されても反骨精神で、跳ね返す努力で成長することもあるでしょう。実際にそうやって、世界のデザイン市場は発展しています。むしろデザイナーは、仕事によって評価されるのであり、それが報酬になります。
 
しかし、建築やデザインのあり方が世間一般では、そのような理想ではないのが現実です。
そこのギャップが、パーソナルの強さや、組織の強さで誤摩化されているように感じます。
その矛盾に枠の限界というものが、見え隠れするのです。

枠の限界

雑誌
もし自分が有名な会社、アトリエ事務所にいて代表的な立場にいたなら仕事がマスコミに取り上げられるでしょう。そこで、注目されるといかにもその人の独創性によってデザインされ、クリエティブな人間として演出されます。評価される結果を出せば、報酬も変わるかもしれません。
 
でも、それはデザインのビジネスとしては飾りの部分で本質ではありません。
枠の中での意味付けに終始し、メディアの話題のひとつでしかないのです。
それはアートでも、デザインでもないビジネスでもない中途半端な状況だと思います。
 
枠の限界とは、創造を既成概念で、数字で、個人的なふわっとした価値観で縛ることにあります。
そんな枠の中での反応に優劣をつけても、結局は枠の中の話です。

他人の評価は万能なのか?

他人が構成する枠組みは万能なのでしょうか?
死後に評価される芸術家がいるように、新しいデザインが突然に市場を席巻することもあります。
人の評価を覆すようなものが、見えないところに埋もれている場合もあります。
 
自分を縛る枠組みの中でやることが、創作的なことを前進させるとは限らないのです。
もしその枠組みが間違っていたら、範囲の狭いものだったら、自分が望むものではなかったら?それでも枠組みの中で、ずっと我慢することが正解と言い切れますか?それ以外のものを見たいと思う気持ちを否定出来るでしょうか?挑戦を諦めてしまうことが正解なのでしょうか?
 
そうは思えませんし、結果として自分の首を絞めているのです。
自分としては、そう感じるのです。
納得出来ない、説明出来ないものがあると感じます。

やるしか納得出来ない

挑戦することは簡単ではないでしょう。
面倒くさくて、孤独で、虚しくなることもあります。
ええ、他の人にとっても理解されないでしょう。
評価される方法を追求したほうが、幸せへの近道かもしれません。
望まれていることだけをやってけば、リスクも少ないでしょう。
出来もしないことを狼少年のように言っていても、相手にはされないでしょう。
 
でも、個人的に、仕事でなければ、自由にやってもいいはずです。
だから、架空の空間で自分のやりたいことをやろうとしているのです。
天井が見えているのに、天井の下で不安になることを納得出来ないなら。
枠の外で、自己責任で世界を構築すれば良いのです。
それが、理由です。
これから、自分なりの実証をこのブログでやろうということです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です