人生と自分とおまけ


年を重ねていくと、経験としがらみだけは自然と増えていく。良いか悪いかは、人それぞれの人生の内容によるが、時間というものが勝手に進んでいく以上は自然の流れである。その流れの中に、自分たちは自分たちの人生と向き合わなくてはいけない。
 
当然のことで、何をいまさら!
という感じなのに、人は悩んでしまう。
人から見たら簡単でも、本人は奈落の底。
 
自分は、あと一ヶ月もすれば35才になる。
若さを前に出す時代は終わり。
少しずつ老いと向き合うようになる。
中間地点であり、まだ20年は働かないと。
まだまだこれからとも言える。
本番を迎えているのかもしれない。
 
本番を迎える準備は出来ている?
というと、不安や問題も当然いろいろある。
大きな問題は、人生はどうなるかわからないと。
今までは、地図があったけど、これからはそうはいかない。
何があるかは、神のみぞ知るということになる。
 
そのような状況で、自分の人生と向き合うのに何をしてきたのか。
いたずらに不安を回避しても、不安は問題が解決しない限りは消えないのである。
 
それでもまだ、今までの環境にいればすぐに問題がある訳ではないだろう。
問題はないけど、自分が望むものは手に入らない。
何もしないで、楽して叶えるなんて甘い。
そんなジレンマ。
無理に冒険なんかしなくても生きていける。
人生のおまけ程度のものかもしれない。
でも、そのおまけが面白いんだよね。
そこに、自分が手をのばすか、諦めるか。
 
結局は最後に自分と、対峙するのです。
人生は自分で歩くもの。
どう歩きたいか、どこに行きたいか。
行けなくても、我慢出来るか、出来ないか。
 
行きたいけど、行くには壁があるときもある。
バンジーを飛ばないといけないこともある。
怖くて、固まってしまうこともある。
ときには、背中を押してもらうときもある。
でもでも、そんなこと期待してたら自分で歩けなくなる。
自分で、自分の意思で飛べなくなる。
 
そして、自分の行きたいところには行けなくなる。
 
わかっていることはひとつ。
「何もしないのに何もわからない」
考えてわかった気がするだけで、本当のことはわからない。
そんなことは、普通にみんな感じていること。
感じてはいるけど、一歩踏み出す勇気がないだけなのだ。
 
始めてみるしかない。
少しずつ。
夢は信じなければ、叶わないものだから。
当たり前のようで、難しく感じるもの。
それも、やってみたら変わるかもしれない。
墓場に入ってから、後悔しても遅いのです。

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