[Note-X]一度きりの人生で

空港と男

004 男として生きる

文句だけは一人前でも、男としては半人前。
見て見ぬ振りとか、他人任せも男なら駄目。
女子供、老人には優しくして守ること。
そんなのは、男なら当然のこと。
 
男のくせにって差別だこと言われる男が悪いのだ。そんなことを言われて動揺してるような、金○の小さい野郎が多すぎるのだ。男か女しかいないなら、どっちかの立場で出来ることをするしかない。

005 責任と自分

大人として、男として、または会社の役職として責任を果たすことがノルマになっているならとても悲しいこと。そういうことが当たり前であり、歯車のようになることが正しいのだろうか。歯車になるのは、他人が悪いのではない。歯車であることを自覚せずにいる、自分が悪いのだ。または、そのような環境を承諾してしまう、自分の弱さや仕組みが悪い。
 
日本は特にその傾向が強いし、未熟だ。立場による格差もあるし、ちゃんと労働についての教育が均等になされていない。だから経営者の理論で経営されたり、身勝手な労働組合が利権化したりする。民主的な社会、市民が豊かになれる社会へは、まだまだ課題が多い。
 
無宗教の人が多いのも原因で、経済的な理論で社会倫理が構築されてる。
昔からの風習である奉公滅私の精神も悪い。
とにかく、日本は幸せを脇に置いていく思考を残しているのだと考えています。
 
個人的な見解で言えば、人生一度きりなのに社会システムの歯車で終わるくらいなら、駄目でも参加したくないのが本音です。無自覚に社会を支える、会社を支える、家庭を支える為の柱として、自分を犠牲にすることを求められるのは気に食わない。真面目に参加したところで、利用する側の思うツボなのだ。そのくせ本人は不満だらけで、輝きを失い、酷使されていたら?これが人生だと納得するしかないのだ。最低限のノルマをクリアして、自己の存在理由を担保することが幸せという形になる。
 
かなり意地悪な書き方をしました。
でも、毎晩遅くまで仕事したり、毎晩仕事で飲んだり、良いように利用された挙句に陰口言われたり、いろんなことがあるなかで、いわゆる普通の意味は、実のところ曖昧です。
もちろん良いこともあります。好きな人と過ごす時間、仕事で成果を出したとき。美味しいもの食べたり、映画みたり、家族で集まったりね。
 
それが責任やノルマ、常識、近所つきあいという妥協や嘘でなければ幸いです。または、企業に誘導されているだけ、見栄や世間体でなければ良いなと思います。
 
嫌なのは、実態があるようで中身は空っぽとか、何もせずに歯車に甘んじることでです。または、他人をそのような立場へ追い込んで利益を得ようとする、またはそれに従属することです。
 
それは自分自身にも当てはまり、もっとも退屈に感じるときです。とにかく退屈で、不幸に感じるのです。そして、飽きるし、マンネリ化します。そういう性格だからかもしれませんけども。
 
とにかく無自覚な責任感で、無駄な人生を浪費するのは非常に退屈で気が進まないですね。また、そういうことで輝きを失う人を見るのも嫌ですね。

006 教室の延長

社会というのは、大きな教室だと思っています。
やっていることは、高校、大学レベルと似ていますし、同じ部分もあります。この感覚は、年齢を重ねることに確信へと変わりつつあります。
学校でモテる人、まとめる人、群れる人、イジメられる人、利用される人という関係は、そのまま社会になっても同じこと。恋人、友人、先生、部活の先輩、後輩とかいうことも、スライドして社会に通じるものがありますね。
お金持ちもいれば、貧乏人もいる。ハンサムと不細工とか、頭が良い悪いとか。格差もそのままに、社会の構造に組み込まれています。違うのは年齢と、対象の詳細な部分くらいだと思います。
 
それぞれのコミュニティで、無難に過ごしてノルマを果たす。それが、日本の社会でのルールであり、それを満たしていくのが、大人として生きることなのです。学校が会社になっただけ、中身は同じようなものです。大人だからというのは、単なる錯覚じゃないかと思うのです。

次回へ向けて

かなりひねくれた内容ですが、普通とか常識とかに素直になれないだけのことです。マトリックスにチューブでつながれているか、外へ出るかの違いのような話かな。子どもの頃に思っていた社会ではなく、あんまり変わらないなという感じです。
 
このような価値観の中で、どう考えて、どう生きていくか。自分の楽しみを作っていくかという流れになります。

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