言葉の重みと可能性

FREEthumb-m
言葉について考える日だったので、そのことを書こうと思います。

独り言なら良いけど

誰もいないところで、何を言っても問題はないです。
ただし、誰かに聞かれたり、伝えたりすることは違います。
伝わった時点で、そこに責任と評価が生まれます。
 
言葉というのは、良いようにも悪いようにも作用するものです。
言葉とは、人間でいる限り向き合っていくものでよね。
だからこそ、軽くは考えられないこと。

言葉の色と温度

言葉には、いろんな色があると思います。
苦い色、心地よい色、勇気が出る色、泣きたくなる色。
そして冷たくなるような言葉、暖かくなるような言葉。
 
それをどう表現するかで、人とつながりが変わります。
無責任な言葉は関係を引き裂き、誠実な言葉は関係を結びつけます。
言葉によって人はつながることもあれば、傷つけることもあるということです。

空虚な言葉は重い空気みたいなもの

空虚で、他人を意識しない言葉は重い空気みたいなもの。
気分は悪くなるけど、目には見えないものが感染してくる。
それは疎ましく、関わりを持ちたくなくなる効果しかない。
重ねれば重ねるほど、それは孤独に変換されていきます。

言葉によって広がるもの

余計なことは言わないほうが良いというのが、防衛策なのでしょうか。
時には壁を壊すような勇気を持って言うべきこともあります。
言葉にすることで、伝わる気持ちもあります。
言葉を失えば、それもまた孤独になってしまいます。
 
言葉の可能性を信じるから、このブログも書いていられると感じています。

言葉から毒を抜く意識

自己保身で言う言葉には、大抵の場合に毒を含みます。
毒を含む言葉は、相手を蝕むようで自分を犯していきます。
 
自分の中で毒を抜いて、言葉と向き合えるか。
毒ではなく、栄養を与えるような活き活きとした言葉が自分を満たすべきです。
言葉は、毒ではなく栄養にする。
これが今日の結論ですね。毒抜きしないと・・・です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です