何が大切なのかを確かめる

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今を見直すって言っても過去を振り返って、反省するとかだと後ろ向きな気がする。
そうじゃなくて、何が大切なのかを、何が足りないのかを確かめることではないかと。
 
誰かを批判するとか、断罪するのも生産的ではない気がする。
それぞれの時代を、それぞれ必死に生きて、そのときに信じたことを行動したのですから。
ただ事実を知るべきだし、真実を見極めることが大事なのではないのかと思います。

何が大事なの?

仕事をすることは、お金が欲しいからです。
お金が欲しいから仕事をするというのは、動機としてはシンプルです。
でもお金のことばかり考えると失敗する、信念を持てと言う人もいます。
でも信念だけでお金がなかったら生きていけない、というジレンマもあります。
 
お金は報酬ですが、仕事の対価として得ることが出来ます。
そして、良い仕事をするから仕事が出来るという側面もあります。
だからそれを信念を持って、良い仕事をするという気持ちになることが大事。
って考えてるけど、お金が欲しいなぁという欲求は満たされるまで不満です。
 
お金だけなら、仕事の質なんて関係なくノルマを達成すれば良いのですから。
でもやっぱりちゃんと仕事したい。ちゃんとしてないのを見てるとストレスになる。
何が大事かって、よくわかんないときがあります。
それって矛盾しているようにも思えて、こだわるのも疲れてしまう。

曖昧なままでは過ちを生むだけ

こんがらがった気持ちを整理するなら、こうなるのかな?

お金は生活するにも、必要な物を買うにも、自己実現にも重要な資源。
でもお金は、仕事の対価であり、報酬だから仕事をきちんとしないといけない。
ノルマを達成するだけで、収入は増えないし、良い仕事をたくさんしないといけない。
そしてこの仕事を選んだのは、報酬が目的で始めたのではない。
それは、お金と関係ないところの気持ちから始まったこと。
自分が感じたことで、それを成し遂げたいというのはお金で買えるものじゃない。
どちらも大切で、必要としていること。

という感じで、どちらが必要で、どちらを優先するということでもないです。
若い頃に決意した気持ちも、お金が欲しいという現実的なことも大切なことなのです。
ただどちらも、自分から実現しない限りは他人の設定した範囲の中にあるということです。
会社にいて何も言わなければ収入は増えないですし、自分の仕事に対する理想は自分で責任を持つべきことです。
 
そういうことはレールの先にある保証はなく、それを叶えられるだけの責任と結果を必要とするのです。
それが現実であり、現実は現在を結果として残していきます。
何が大切か、何を必要としていて、それが何なのかが曖昧なら問い直すべきです。
それが自分の信じるもので、本当に望んでいるか、正しいことなのかと何度も問い直すことです。
何が大切かを理解していない、ただ目の前のことに右往左往するのは過ちを犯してしまいます
自分の気持ちも時間とともに変化するし、確実にいつも正しいとは限りません。

たまたま成功しても長続きはしません。ここで書いた過ちとは、いろんな捉え方があると思います。自分の経験も含んでいます。デザインが好きで、デザイナーとは何をすることかと考えました。でも曖昧な部分を残したままでは、結果は思うようなレベルではなかったことがほとんどです。
それは仕方がなかったとも言えるし、過ちだったとも言えます。
過ちだと言う理由は、それが曖昧だったからこそ出る妥協と、甘えです。
明確なものであれば、すこしでも埋めれたものを埋められない故に出る過ちだということです。

他人が悪いのなら断罪すべきなのか

現実の中で他人が悪いからといって、悪者を決めてしまえば解決するのか。
犯罪であれば逮捕されるべきですし、裁判をして勝つ必用があります。
違法でなくとも、権利を侵害したり、約束を保護にされ被害を受けるならば戦うべきでしょう。
チームの和を乱したり、プロジェクトを進行するのに弊害があるなら意見をすべきです。
 
しかし、未来を思考するのに個人の過ちを断罪しても意味がないと思います。
そこではなく、その行為がなぜ駄目なのか、その過ちの原因は何かを問うべきです。
頼んだ仕事をしてくれなかったとして、その過ちは何故起きたのか、それは防ぐことが出来なかったのか、それに対する対処は合理的で効果があったのかということです。ただ文句を言って、相手がすいませんと言えば良いのか。そんなのは自己満足に過ぎないし、それを防ぐことが出来なかったと白旗を上げているようなものです。

望む状況は何で、そうなるような流れを作れるのか

現実的なことを言えば、仕事を安定させるか、向上出来る流れにしたい訳です。
その上で自分の収入を増やしたいし、それを元手に生活を安定させて自己実現に投資したいということです。
 
じゃあ現実はそうなっているか、そうでないないなら、そうなる流れを作れるかということです。
たくさんの仕事を受注出来るか、それをひとつ残らず適切な対応は可能なのか。
それに責任を持ってコントロール出来るのか、足りないことは認識しているかということ。
そうでないから、現実はいっこうに変わらないのではないでしょうか。

詰めていくことで

ブログにどこまで具体的に書くかは、今まで結構悩みましたし戸惑っていました。
その理由は、どうしても自分の体験は相手がいることで、個人のことを対象になるのではないかということです。またそれは結果を出してから言うことだとか、考えていました。
かといって、成功してから体験をもとに書いても、それはよくある成功体験談です。
もしそれが出来るなら説得力はあるでしょうけど、別にそれをブログにする必要もない訳で。
 
今出来るのは、これからのことを考えて詰めていく作業です。
今まで曖昧にしてきた隙間を、少しずつ詰めていく感じです。
それを共有出来れば、それは良いことだと思います。
今回言いたかったのは、自分の曖昧さを詰めることで何が大事かを確かめることが出来るのではないかということです。何が大事かということを詰めることは後ろ向きなことではなく、それをキッカケにして先に進めるのではないかと思います。

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