結局普通でいいということ

普通って何?
会社員して、結婚して子育てすること?
だとすると、普通というのは組織の中にいろこと?大多数の中の一員ということ?

 
なんて、意地悪な質問だ。
子供みたいで思慮に欠ける。
そんなことどーでも良いし、気にしない。
本質はそこではないから。
そんなことより考えることは、たくさんある。
 
普通というのは、多数派ということなだけ。
多数派と同じ=正しいというのは歪んだ思考です。よくそういうことを言う人がいるけど
多数派だから賛成している人が多いというだけで、正しいとは限らない。多数派でも過ちは犯すし、集団心理で変になることもある。
 
普通じゃないというのは、マイナーなだけのこと。マイナーなだけで、おかしいか、そうでもないかは別の視点なのだ。
それでも変なら、本当に変というだけでマイナーかどうかは関係ない。メジャーでも変なものは、変でおかしいこともあるのでは?
また変だから悪いかというと、それはまた別の視点なのだ。ゴッホも、きゃりーぱみゅぱみゅも、タモリも変な人だけど悪い人ではない。
 
と、言うように、思考と評価は内容の本質を知らないと誤った認識になる。そこが今回の話のツボである。それを思いこみや、噂を信じたりして間違えたりするのだ。
そうなると、認識がおかしくなるので少し融通が効かなくなる気がする。偏ったり、過敏になったり、逆に鈍くなったりする。

 
老いると頑固になったり、反応が極端になったり、鈍感になるのは、物事を分解して理解する能力が落ちるからだ。なぜ落ちるかといえば、経験という記憶がテンプレートになって簡略化してしまうからだ。
子供が感動することでも、親からしたら当たり前でなんとも思わないなんてこともあるのではないだろうか。鈍い親はこのパターンな気がする。デリカシーがないのも、駄目な思考がパターン化して外部の状況を読み取れないからである。
 
そういうことを意識しないで、自分は大丈夫だとか過信していると、ウザいおっさんになるのかもしれない。 
結局普通が良いと断言するというのは、普通以外の良いことを知らないか、普通以外のことを考えるのが面倒くさいだけのこと。
正しく言うなら、普通でも自分としては幸せになれました、という感じじゃないかな。普通が絶対幸せなんて本気で言ってる人がいたら、視野が狭いんだなと思っておいて良さそう。

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