そういうことではなくて


そういうことではなくて・・・・でも・・・。
 
 
仕事もプライベートも、なんかイマイチ燃えない。
なんだろうか、この謎の停滞感。
うーん、分析してみようと思います。

まわりの人

感覚のズレが激しいというよりは、自分の好みが厳しいのかも。あーこの人大好き、この人と一緒にいたいと思うハードルがピンポイントなのかも。もしくは、そういう出会いに恵まれてないのかもね。
 
だから、なーんか話が合わないっていうか、ふうーんってなってしまう。そういうことではないんだよねーっていうジレンマになるのかも。それってもう、仕方ないんじゃない?っていうレベルかも。好みじゃないないんだから、そこに気を落としても仕方がないんだよきっと。
だって好きじゃないんだし、興味がないんだから。
それだけのことかもしれないね。

どうするか?

好きじゃない物を、好きになる努力は必要かどうかに尽きる。
必要でないのなら、好きになる必要もない。
それで救われている事実もあるし。それをまっとうする人もいるだけのこと。そこに関与をするかという意思を持つかどうかだ。そう考えたときに、自分は関与しないということでしかない。
 
そう、それは自分が好きじゃないものなのだ。
それを、好きにならないと駄目だと思うのは嘘つきだ。
好きじゃないものに執着するのは、好きだからだと言える。
なんとでも言えるのだから、なんでもない。
だったら、好きなことを好きにやればいいのだ。
 
そして合わないものは、合わない事実にいちいち凹むのは、それを責める自分の心であって、それをなくせばいい。そうすれば異質なものも、単純に異質な物として冷静に見えるかもしれない。これは、あくまで希望だけど。
 
とにかく、とにかく僕は好きじゃない物に染められることは許さない。
そしてそこに関与もしない。感情を与えない。
だから理解しない、理解したくない。
忘れてもいいことであって、強要されたら全力で拒否するか逃げる。
もしくは、体よくつきあうけど仕返しをする。
だって嫌いなんだから「みんなといっしょ」っていう糞みたいなルール。そんないかれたルールが、世界のルールだというなら、そんな世界を信じている人とはいっしょにいても見ている世界は違うのだ。
 
自分は自分の世界へ、次の一歩へと足を進めば良い。
世界は自分がいないと、意識から消えるものだから。
 
だから自分の世界は、自分で見つける。

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