
個人的なドロドロな話は、[ドロドロ]という見出しをつけます。
ドロドロしてるので、読むか読まないかはご自由に。
ドロドロの存在
前回までの面白い話から切り離してする、個人的な問題とは何か。
まぁ普通にしてれば、どうってことないことだと思う。調子の良いときには出てこない部分だし、逆に疎ましいものかもしれない。でも、個人的にはかなり重要な部分であるということもわかってきた気がする。
うつはドロドロから始まる
自分の中に感じるドロドロ感は、うつにつながる部分だと思う。
また自分のマイナス部分に、そうとう根の深い影響を与えているように感じる。
これは普段の会話で、他人に共感を得るようなものではないという感じがする。今まで無意識に持ち出してたと思うけど、これは持ち出すべきものではなく、自分の中でなんとかしないといけないんだと思う。
しかし、それは確実にある。
それを感じるキッカケは、他人に自分の意見の承認を求めるようになるときだった。
これは不安から生じる感情の、不安部分の押し付けにほかならない。
でもドロドロが広がって、心を侵食すると止まらなくなってくる。
そうなると、どうしても相手にもそのドロドロを共有しようとする。
共有というか強要?なのかもしれない。
そういう状況を逆の立場で感じたことがあるから、気づいたのかもしれない。
それは恐ろしく、また醜い行動だったと思う。
いまさら気づいても遅いし、申し訳ない気持ちも出てくる。
極端になる傾向がある
自分の意見を正当化して、他人に強要するのは心に余裕がないからだ。
冷静ではないし、それでは理解を得るのは難しいと思う。
ドロドロが吐き出す負の部分を極端にすると、うつや殺人になってしまうと思う。
ドロドロはネガティブで、暗くて、ねばっこいイメージである。
ドロドロが広く、深く心に広がると人は駄目になっていくのかもしれない。
深くなればなるほど極端な思考になるし、無意識だとさらに極端に傾倒していく。
そのエスカレートが、やがてうつや殺人につながると思うが、それは説明すると長いのでおいおいしていく。自分の感覚だと、けっこう的を得ている話な気がしている。このドロドロが負の部分で物事を進まなくする原因だと思うし、個人的には大きい話だと思う。ドロドロがなくなることはないと思うけど、それがなんなのか理解しないとダメになると思うので書くことにする。