感覚の違い?というか勘違い?

うーん(´ε`;)
話がまとまらないというか、どこに持っていくかが難しい。
ひとつ思うのは、目線の違いは環境の変化とか、コミュニケーションなんだなと思う。

立つ位置の違いは大きいのか

個人的に感じたことは、目線が変わると難しいというのは共感なんだろうと思う。感覚に近いけど、なんか違和感が生じたときは、何かがズレているんだろうと思う。目線のズレは何で解消できるかといえば、言葉では限界があるのかもしれない。

行動というか、もうひとつふたつアクションがないと話が空中分解してしまいそうな気がする。というか、袋小路にハマるんだなぁという感じ。

話を戻すと

話を戻すと、現状を踏まえて面白くするにはどーしたら良いかという話だったと思う。これまでは、まぁ今までの自分の引き出しから出してきて話を構築したけど、それでは浅いというか薄いのかもしれないということ。

簡単に言うと、生活基盤がしっかりある状況で面白くするという話と、生活基盤に問題を抱えつつ面白くするというのはストーリーの組み立て方が全然違うのかもしれないということ。
また、負の部分にフォーカスする必要性もあるか、ないかという問題も含むし、その負の部分が書いてるうちにこじれているのかもしれないと思った。

負の部分は書いてる自分の状況が如実に出てしまうし、読み手には関係ないことになってしまうということだと思う。そこが感覚的にズレると、話にならない気がしている。

維新と反維新みたいな

この例えが良いかわかんないけど、維新が問題だと言うことに、反維新が乗らないのはそういう部分の意識のズレみたいなものがあると思う。だから、根本的に噛み合わず議論が深まらない的な。。。。
だって反維新側にとって2重行政の話は、基本的に興味なさそうだしね。
ネットと世間の温度差も、こういう感じがしてるんだよね。何か根本的に違う方向を見てるような・・・・。

何を深めるのか

どこをどう深めていくのかということが、まずは整理しないといけないのかもしれない。
じゃないと、どうも話が前に行かない気がしている。

面白くするためのソフトの部分か、ハードの部分かという感じ。
ハードは基盤的な話で、ソフトは枝葉の現象的な話。
うーん(´ε`;)長くなってきたので一旦終わる・・・。
これは時間をかけて悩みそうだなぁ。。。

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