個人文化かパーソナルカルチャー

社会が、公共文化だとすれば、対義語としては個人文化だと思う。それぞれ個人単位で文化があって、それを家族や友達とかと共有している。それは趣向と言うほうが正しいけど、著名なクリエイターの場合は、趣向を超えて文化になって伝播していく気がする。
だから、自分が思うクリエイターは、個人文化なくして語れないし、楽しくないと思う。パブリックに意識を持っていかれると、パーソナルの部分が消失してしまって自我崩壊してしまう。むしろ自我が弱い人ほど、パーソナル的な文化の確立が大事な人なんだと思う。自分のパーソナルなイメージがなくて、パブリックに合わせる事で安定を得る人は社会で生きていくことは出来るけど、満足度は低いかも。あと、まわりばかり気にしたり、自分自身を見失う。
なので個人文化の肯定は、かなり心理学的にも重要だと思う。まず肯定感がないと、人は前向きなれないし、自分自身に対して行動を起こせなくなるから。

他人の前に自分

他人よりも目の前の自分を見ているかである。成功している人、幸せな人のほうが、自分の事をよくわかっている気がする。
そしてあくまで公平に見れるかが大事なんだよね。良いこと、悪いこと、好きなこと、嫌いなことを公平に、客観的に見れるかって、すごく大事で、変な姿勢で見ない事が、自分に正直になれる方法だと思います。

自分の場合は、それがちゃんと出来なかったなぁと。いい加減にしたり、人のせいしたり、出来ない事を克服出来なかったり。だから、まわりより自分の中にあるものを大事したほうが、結果的にまわりも幸せになると考えました。

パーソナルカルチャー

個人文化って言うより、パーソナルカルチャーのほうが言いやすいけど、面倒くさいので、このブログではパソカルで良いかな。


デザイナーはパソカルが非常に濃い意味を持つ気がする。パソカルを洗練させないといけないし、借り物では魅力がない。型にハマったテンプレートではなくてという意味。テンプレで大丈夫なんだけど、そこに納得出来るかどうか。
パソカルがテンプレだと、たぶん見透かされるのよね、この人ポージングしてるって。
パソカルが個性的な人って、例えば西野とか、渡辺直美とか、ピカソとか、たけしとか、ダヴィンチとか。その人発信で輪が広がる感じ。
テンプレは、逆にサラリーマンの処世術って感じ。サラリーマン社会は、テンプレの使い手が勝つ世界っていう。そのへんは話変わるので、違う機会に。
という事で、パーソナルカルチャーなるものを少し語りましたが、長くなってきたのでこの辺で。

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