あ、ツイート多いと思ったところからの話

Twitterの本垢を再開して、適当に呟いていて気づいた。あっ俺ツイート多いなというとこらから、人間関係の話と、言葉のことについて。

ツイートが渋滞

基本的に、普通はツイートってそんなにするものじゃなくなってるんだなと。逆に自分が多いから、タイムラインが自分で埋まっていて、唐突に気づいた。あきらかにツイートが渋滞してるので、控えようかなと思ったり。

結局のところ日々の時間の間にTwitter見て、呟きたくなっちゃう癖になってるなと。それで、Twitterで言葉を消化してる。お腹に溜まった言葉を、吐き出したいんだなと思った。

言葉の行先

日々生きてると、言葉の行先みたいなものってあるのかなと思った。それを飲み込んで生きてて、お腹を壊すときもあるというか。

Twitterのこと考えて、他人が近くにいても、話が出来るわけではないなと思ったときに、言葉の行先がどこにあるのかなって。妻や夫がいても、すべて話聞いてくれるわけではない。むしろ聞いてくれる余裕がないのかもしれないし、話出来ないこともあるだろうなと。

日々の中で溜まっていく言葉

でも、たぶん日々生きてると言葉が溜まっていく。晴れた日、曇りの日、雨の日。少しずつ、少しずつ、言葉の破片が、お腹の中に蓄積しつつ、人は、なんか違うことで発散して、お腹の中の言葉を消化してるのかなとか思ったりする。行先がないと、消化不良になってしまう。

そう考えると、学生のときに毎日友達が近くにいて、いろんなことをダラダラ話するってのは、贅沢な事だったんだなぁと、いまさら思ったりするのでした。

言葉の行き先を、ちゃんと決めとくのは大事ですね。

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