いろんなタイプと思う

適応障害もいろんなタイプがいると思う。さまざまな条件に分かれると考えられるが、わかりやすいのは局所的なのか、背景があるのかである。適応障害になるまでは、何の問題もなかったけど、たまたま変わった環境がストレスフルだった場合。もともと生い立ち、性格、能力が弱くて、ストレスフルな環境に入った場合では全然違う。

しかし、おそらく適応障害などと無縁の人には違いはわからない。まったく同じものと理解してる可能性がある。そういう無理解が無数に存在していると思われ、この分野のしんどさは軽減されない。

そもそも疾患になるタイプと、そうはならないタイプの人間の特性も大きく変わることから、この認識の不一致は深刻なものがある。一概には言えないけど、ざっくり言えば繊細な人が疾患になりやすく、その中でも攻撃性のあるタイプとそうでないタイプで大きな違いもある。

後者の場合、休めば治るとは思わない。一時的に体力回復するだけなのでは?原因が他にもあるし、ハンデもある人が休んで治るは理屈としてあわないからだ。逆にもともと問題ないけどタイプは、基本的に休暇をとって場面を変えれば終わってしまうだろうと思う。でもどちらも適応障害と言ってしまえば、区別がつかないのではないだろうか。

違う認識の問題

こういうことへの違う認識は、相当なストレスになるのと、心理的負担になる。そんなことはわかっているはずなのに、それに対する対処は出来ていないのが日本の現状である。そういう人達に対して、認識も対策も不十分すぎるので、いつまでも苦しむ人が減らないし、そういうものだと諦めるしかない状況がある。

期待しない

基本的に、理解がない人への期待はしないほうが良いという認識。というより、そういうことを共感できると期待することが負担になりそうな気がする。というより理解しようとする姿勢があるのかもあるし、実体験がない心霊体験を聞いているような状況が現状なのではないかという気がする。

医者の話を聞いていても、他の人みたいに出来ない自分への失望感とか理解して話してるんだろうかと思う。それをネガティブ思考で一蹴された日には、しんどくて歩けなさそう。

認知療法など調べてみる気だけど、「あわない人」との距離感とか、考え方も課題の一つだろうと考える。そういうことも共有されていない現実はあるだろうし、医者に行くのは有料なのだ。コロナの予防くらいに、被害を受ける前の予防が広まれば傷つく人も少ないのにと思う。

急激にそういうようなストレスに遭遇したり、決定的なことがあって、耐えきれずに自殺する人もいるんじゃないかなと思ったりする。

治療の過程で認知を変えることや、ストレスとどう向き合うかは考えるけど「あわないポジティブ思想」とか「バックグラウンド違うポジティブ思考」とか「理論的ではないお気持ち根性論」には距離を置きたい。そういうのは毒にしかならないんじゃないかなと。

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