いろいろ吟味して、今の状態をどうして納得する”かたち”にするかを考える。
人間関係を整理

適応障害の件は、こういう話を出来る人としか、話するのは無意味というのが結論。わからない人と話しても、そもそも理解出来ないし、話の内容を把握出来ない。
※専門知識もない、実体験もない人と話をしても、想像の中に話が宙を舞うので難しい。
ということは、だいたいの人とは共有する気がないという方針になる。聞かれて話しても伝わらないだろうし、ネガティブな話になる話なので無意味。孤立するように見えるけど、むしろ、その点は整理したほうが良いというのが結論。
実際に、こういう話に興味を持つ人は、ほとんどいない。同情してくる人はどうせ、無理しないでねとかいうテンプレ心配ムーブになるだけだから。よほどちゃんと聞いてくれる人じゃないと、話するだけ無駄なのだ。
もしくは、有難くもしょうもない説教をして頂ける人々もいるのでどうしようもない。だからむやみに悩みを吐露しても意味がないばかりか、被害を拡大する可能性もある。
おそらく、ここ大事。
兎にも角にも、社会生活はあるので、それを構成する人たちとは折り合いをつけないといけない。なので、どのみち他人との距離を考えながら、自分を社会の中で整理するかとになる。
ということに、自分で一定の結論を見出さないといけない。
その人達と自分がどのような利害関係で、どのようなレベルでのコミュニケーションを取るべきか、信頼関係の構築などまでに気を回さないといけない。でないと、最低限の生活すらままならなくなる。
あとはその人たちが通常モードなのか、そうじゃないのかが大事。通常モードの人とは、病んでる側は相容れない場合があるので、かなりよく考えて距離を決め、どういう関係を構築うするのかを考えないといけない。
その認識は健康的な思考の人側にはないもので、病んでる側から調整しないといけない。まずその点が難しいし、よく考えていかないと。そもそも病んでるときには、交流する気力すら持てないくらいなのに。
社会生活
ハンデを持ちながら、社会生活をしようとする場合に、まわりを見極めてコンセンサスを取ることは、相当大事。それでもやっぱり、最後はどうしようもないので、なんとか誤魔化すしかない。
なんせ結果が問題なくやりすごせれば、社会では生きていける。最悪でも衣食住を確保して生きていければ問題ないんよね。そこが維持出来るかが最大の問題で、社会責任とも言える。
それがいろいろ大変なのだけど、こっちでいくら大変だと思っていても、世界が関係なく進んでいくのでどうしようもない。時間は残酷に進んでいくし、待ってくれない。ということをふまえて、どうにかするしかないのである。
そこがしんどいのが病気だったり、環境だったり、個人の葛藤だったりする。頑張ってなんとかなるんだったら苦しんでないよ。というのがあるので、そういうのを和らげるネットワークが必要なんだろうなと思う。
ネットワークが大事
ネットワークはぜったいに大事だろうなと思う。ただ、自分としては胡散臭くなくて、押し付けがましくないのが良くてグルーミングしないで欲しいんだよね。
あと、わかりやすくて、理論的に説明してくれるやつ。
医者がマジで役に立たない例もあるので、このサポートは必要だろう。たぶん他の病気でもそうなのだが、医療だけでは不十分なんだろうなと思う。サポートがないと、患者側はしんどい。加えて、グループ感出されるのとか嫌なので、そのへんを排除して何かできないかと思ったりする。
どうしていくか
自分の場合の適応障害は、単純に仕事辞めたら治る。みたいな単純構造をしておらず、完全に治療するには時間がかかりそうという予感はしている。
そもそも治療というか、駄目な習慣や価値観の書き換え的な面もあるから、時間がかかる。
だけど、まわりの人に理解を求めるのは難しいし、説明も出来ないし難しい。ようするに
「ギリギリ大丈夫なように演じて、現状維持で内面をケアしつつ、強くしていく」
しかない。これに尽きるなと考えている。
さて、どうしたものか。